コンテンツにスキップ

武士のおこりと鎌倉幕府

武士のおこりから鎌倉幕府の成立としくみ、元寇、室町幕府の政治と東アジアとの関係、民衆の成長と戦国時代、鎌倉・室町の文化を、年表と資料で確かめる。

このLessonでできるようになること

  • 武士がおこり、力を強めていった流れを説明できる
  • 鎌倉幕府のしくみと、御恩と奉公の関係を説明できる
  • 承久の乱と御成敗式目の意味を説明できる

前に習ったこと

問題を読み込んでいます…

基本を理解する

武士のおこりと平氏

10世紀ごろ、地方の争いをしずめるなかで武士が力をつけ、平将門の乱と藤原純友の乱もしずめました。1086年に院政が始まると、朝廷の争いに武士が加わるようになり(保元の乱・平治の乱)、平清盛が政治の実権をにぎって日宋貿易を進めました。

鎌倉幕府

1185年の壇ノ浦の戦いで平氏がほろびました。源頼朝は守護と地頭を置き、1192年に征夷大将軍となりました。

鎌倉幕府のしくみ 将軍の下に執権を置き、中央に侍所・政所・問注所、地方に六波羅探題・守護・地頭を置いた。 将軍 執権 中央 侍所 政所 問注所 地方 六波羅探題 守護 地頭
鎌倉幕府のしくみ

将軍と御家人は、土地を仲立ちとした御恩と奉公の関係で結ばれていました。

御恩と奉公 将軍は御家人に、領地を保護したり新しい領地を与えたりする御恩をあたえ、御家人は将軍に、京都や鎌倉の警備や戦いで忠誠をつくす奉公をした。 将軍 御家人 御恩 領地を保護する 新しい領地をあたえる 奉公 京都・鎌倉の警備 戦いで命がけで戦う
御恩と奉公

頼朝の死後、北条氏が執権として実権をにぎりました。1221年の承久の乱で朝廷に勝つと、京都に六波羅探題を置きました。1232年には、北条泰時が御成敗式目を定めました。

例題

承久の乱のあと

承久の乱のあと、幕府の支配はどのように変わったか。

解き方

京都に六波羅探題を置いて朝廷を監視し、上皇方についた貴族や武士の領地をうばって東国の御家人を地頭に任じたので、幕府の支配が西日本にも広がった。

自分でやってみる

問題を読み込んでいます…

間違えやすいポイント

「守護は荘園ごと、地頭は国ごとに置かれた」

守護は国ごと、地頭は荘園・公領ごと。

「執権は将軍の家来の源氏が代々ついた」

執権は北条氏が代々ついた。

まとめ

確かめること できること
1 武士がおこり、力を強めていった流れを説明できる
2 鎌倉幕府のしくみと、御恩と奉公の関係を説明できる
3 承久の乱と御成敗式目の意味を説明できる

理解度チェック

問題を読み込んでいます…

このページの用語

武士(ぶし)
10世紀ごろ、武芸を身に付けて都の警備や地方の争いをしずめた人々。一族や家来を率いて武士団をつくった。源氏と平氏が有力になった。 くわしく見る
平将門の乱と藤原純友の乱(たいらのまさかどのらんとふじわらのすみとものらん)
10世紀前半、関東で平将門が、瀬戸内海で藤原純友が反乱を起こした。朝廷は武士の力を借りてしずめた。 くわしく見る
院政(いんせい)
1086年に白河上皇が始めた、天皇の位をゆずった上皇が、院で政治を行うしくみ。 くわしく見る
保元の乱・平治の乱(ほうげんのらん・へいじのらん)
1156年と1159年に、朝廷の争いに武士が加わって起こった戦い。平清盛が勝ち残り、力を強めた。 くわしく見る
平清盛(たいらのきよもり)
1167年、武士として初めて太政大臣となった人物。娘を天皇のきさきにし、兵庫の港を整えて日宋貿易を進めた。 くわしく見る
日宋貿易(にっそうぼうえき)
平清盛が進めた、宋(中国)との貿易。兵庫の港(大輪田泊)を整え、宋銭などを輸入した。 くわしく見る
壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)
1185年、源義経らの源氏の軍が平氏をほろぼした戦い。 くわしく見る
源頼朝(みなもとのよりとも)
1185年に国ごとに守護、荘園・公領ごとに地頭を置き、1192年に征夷大将軍となって鎌倉幕府を開いた人物。 くわしく見る
守護と地頭(しゅごとじとう)
1185年に源頼朝が置いた役職。守護は国ごとに置かれて軍事・警察を、地頭は荘園・公領ごとに置かれて年貢の取り立てや土地の管理を行った。 くわしく見る
御家人(ごけにん)
将軍と主従関係を結んだ武士。 くわしく見る
御恩と奉公(ごおんとほうこう)
将軍と御家人の主従関係。将軍は御家人の領地を保護したり新しい領地をあたえたりし(御恩)、御家人は京都・鎌倉の警備や戦いで将軍のために働いた(奉公)。 くわしく見る
執権(しっけん)
鎌倉幕府で、将軍を補佐した役職。北条氏が代々この職につき、政治の実権をにぎった(執権政治)。 くわしく見る
承久の乱(じょうきゅうのらん)
1221年、後鳥羽上皇が朝廷の力を取りもどそうとして兵を挙げたが、幕府軍に敗れた戦い。 くわしく見る
六波羅探題(ろくはらたんだい)
承久の乱のあと、京都に置かれた幕府の役所。朝廷を監視し、西日本の御家人を統率した。 くわしく見る
御成敗式目(ごせいばいしきもく)
1232年、執権の北条泰時が定めた、武士の社会の慣習にもとづく最初の武家法。裁判の基準を示した。 くわしく見る

次に進もう

このページの目標に全部チェックがついたら、次へ進もう。

次の Lesson:元寇と鎌倉幕府の滅亡、室町幕府 →