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明治初期の外交と国境

明治維新の諸改革(中央集権・富国強兵・殖産興業)と文明開化、明治初期の外交と国境の画定、自由民権運動から大日本帝国憲法の制定・帝国議会の開設までを、年表と資料で確かめる。

このLessonでできるようになること

  • 岩倉使節団の目的と成果を説明できる
  • 中国・朝鮮との関係と、国境の画定(北海道・沖縄・樺太・千島)を説明できる

前に習ったこと

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基本を理解する

欧米との関係

1871年に岩倉使節団が欧米に送られました。条約改正はできませんでしたが、欧米の進んだ政治や産業を知り、国内の改革を優先しました。

近隣の国々と国境

例題

岩倉使節団

岩倉使節団が欧米を訪れた目的と、その結果を説明しよう。

解き方

不平等条約の改正の交渉と、欧米の政治や産業の視察が目的だった。条約改正はできなかったが、日本の近代化には国内の改革が必要だと考え、帰国後の政治に生かした。

自分でやってみる

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間違えやすいポイント

「岩倉使節団で不平等条約が改正された」

交渉は失敗した。条約改正は、1894年(領事裁判権の撤廃)と1911年(関税自主権の回復)。

「樺太・千島交換条約で樺太が日本領になった」

樺太はロシア領、千島列島が日本領になった。

まとめ

確かめること できること
1 岩倉使節団の目的と成果を説明できる
2 中国・朝鮮との関係と、国境の画定(北海道・沖縄・樺太・千島)を説明できる

理解度チェック

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このページの用語

岩倉使節団(いわくらしせつだん)
1871年、岩倉具視を大使として、大久保利通・木戸孝允らを欧米に派遣した使節団。不平等条約の改正の交渉はできなかったが、欧米の政治や産業を視察した。 くわしく見る
日朝修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)
1876年、江華島事件をきっかけに、日本が朝鮮と結んだ条約。朝鮮にとって不平等な内容だった。 くわしく見る
樺太・千島交換条約(からふと・ちしまこうかんじょうやく)
1875年にロシアと結んだ条約。樺太をロシア領、千島列島を日本領とした。 くわしく見る
琉球処分(りゅうきゅうしょぶん)
1879年、明治政府が琉球藩を廃止して沖縄県を置いたこと。 くわしく見る

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