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平安時代の政治と国風文化¶
聖徳太子の政治から大化の改新・律令国家の成立、奈良時代の政治とくらし・天平文化、平安時代の摂関政治と国風文化までを、東アジアとの関係とともに年表で確かめる。
このLessonでできるようになること¶
- 桓武天皇の政治の立て直しを説明できる
- 摂関政治のしくみを説明できる
- 国風文化の特色を、天平文化と比べて説明できる
前に習ったこと¶
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基本を理解する¶
平安京と政治の立て直し¶
794年、桓武天皇は平安京に都を移し、政治を立て直そうとしました。坂上田村麻呂を征夷大将軍として東北地方に送り、朝廷の支配を広げました。仏教では、最澄と空海が新しい教えを広めました。
摂関政治¶
藤原氏は、娘を天皇のきさきにして、その子を天皇に立て、摂政・関白として政治の実権をにぎりました(摂関政治)。11世紀前半の藤原道長と頼通のころに最も栄えました。
国風文化¶
894年の遣唐使の停止のころから、日本の風土や生活に合った国風文化が発達しました。かな文字が生まれ、源氏物語や枕草子などの女性の文学が生まれました。社会の不安が広がる中で浄土信仰が広まり、平等院鳳凰堂が建てられました。
例題¶
摂関政治のしくみ¶
藤原氏は、どのようにして政治の実権をにぎったか。
解き方
娘を天皇のきさきにし、生まれた子を天皇に立てて、天皇の祖父(外戚)として、天皇が幼いときは摂政、成人してからは関白となって政治を行った。
自分でやってみる¶
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間違えやすいポイント¶
「摂政は天皇が成人してから置かれる」¶
天皇が幼いときに代わって政治を行うのが摂政。成人した天皇を補佐するのが関白。
「国風文化は唐の文化をそのまま取り入れた」¶
国風文化は、唐の文化をもとに、日本の風土や生活に合わせて発達した文化。唐の影響を強く受けたのは天平文化。
まとめ¶
| 確かめること | できること |
|---|---|
| 1 | 桓武天皇の政治の立て直しを説明できる |
| 2 | 摂関政治のしくみを説明できる |
| 3 | 国風文化の特色を、天平文化と比べて説明できる |
理解度チェック¶
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このページの用語¶
- 平安京(へいあんきょう)
- 794年、桓武天皇が京都に移した都。政治を立て直すため、仏教勢力の強い奈良をはなれた。 くわしく見る
- 坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)
- 桓武天皇から征夷大将軍に任じられ、東北地方の蝦夷を平定した人物。 くわしく見る
- 最澄と空海(さいちょうとくうかい)
- 唐で学んだ僧。最澄は比叡山の延暦寺で天台宗を、空海は高野山の金剛峯寺で真言宗を広めた。 くわしく見る
- 摂関政治(せっかんせいじ)
- 藤原氏が、天皇が幼いときは摂政、成人してからは関白として、天皇に代わって政治の実権をにぎった政治。11世紀前半の藤原道長・頼通のころに最も栄えた。 くわしく見る
- 藤原道長(ふじわらのみちなが)
- 11世紀前半に摂関政治の全盛期を築いた人物。4人の娘を天皇のきさきにした。 くわしく見る
- 遣唐使の停止(けんとうしのていし)
- 894年、唐がおとろえたことなどから、菅原道真の進言で遣唐使が停止された。 くわしく見る
- 国風文化(こくふうぶんか)
- 平安時代の中ごろ、唐の文化をもとに、日本の風土や生活に合わせて発達した貴族の文化。 くわしく見る
- かな文字(かなもじ)
- 漢字をもとに日本でつくられた文字(ひらがな・かたかな)。日本語の気持ちを表しやすくなり、女性による文学が発達した。 くわしく見る
- 源氏物語(げんじものがたり)
- 紫式部が書いた長編小説。宮廷の貴族の生活をえがいた。 くわしく見る
- 枕草子(まくらのそうし)
- 清少納言が書いた随筆。宮廷のくらしや自然を、するどい感覚でえがいた。 くわしく見る
- 浄土信仰(じょうどしんこう)
- 阿弥陀仏にすがり、念仏を唱えれば、死後に極楽浄土に生まれ変われるという信仰。平安時代の中ごろから広まった。 くわしく見る
- 平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)
- 1053年に藤原頼通が宇治(京都府)に建てた阿弥陀堂。浄土信仰の広まりを示す。 くわしく見る
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