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開国と江戸幕府の滅亡

欧米の市民革命と産業革命、欧米のアジア進出、日本の開国から江戸幕府の滅亡までを、年表と資料で確かめる。

このLessonでできるようになること

  • 開国の流れと、2つの条約のちがいを説明できる
  • 開国後の社会の変化と、尊王攘夷運動を説明できる
  • 江戸幕府が滅亡するまでの流れを説明できる

前に習ったこと

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基本を理解する

開国

1853年にペリーが来航し、1854年に日米和親条約、1858年に日米修好通商条約が結ばれました。

比べて覚える:日米和親条約と日米修好通商条約

日米和親条約

ひとことで
1854年に結ばれた条約。下田(静岡県)と函館(北海道)の2港を開き、アメリカ船に燃料・食料・水をあたえることを認めた。

日米修好通商条約

ひとことで
1858年、大老の井伊直弼が朝廷の許可を得ずに結んだ条約。函館・神奈川(横浜)・長崎・新潟・兵庫(神戸)の5港を開いて貿易を始めた。

幕府の滅亡

開国後、物価が上がって生活が苦しくなり、尊王攘夷運動が高まりました。幕府は安政の大獄と桜田門外の変で反対派をおさえましたが、1866年に薩長同盟が結ばれ、1867年の大政奉還で幕府は終わりました。戊辰戦争で旧幕府軍は敗れました。

例題

不平等条約

日米修好通商条約が不平等条約といわれるのはなぜか。

解き方

日本で罪をおかした外国人を日本の法律で裁けない領事裁判権を認め、日本に関税自主権がなかったから。

自分でやってみる

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間違えやすいポイント

「日米和親条約で貿易が始まった」

日米和親条約は下田・函館を開いて燃料や水をあたえる条約。貿易が始まったのは日米修好通商条約から。

「大政奉還で戊辰戦争が終わった」

大政奉還(1867年)のあと、1868年に戊辰戦争が始まった。

まとめ

確かめること できること
1 開国の流れと、2つの条約のちがいを説明できる
2 開国後の社会の変化と、尊王攘夷運動を説明できる
3 江戸幕府が滅亡するまでの流れを説明できる

理解度チェック

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このページの用語

ペリー(ぺりー)
1853年に軍艦4隻を率いて浦賀(神奈川県)に来航し、開国を求めたアメリカの使節。 くわしく見る
日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)
1854年に結ばれた条約。下田(静岡県)と函館(北海道)の2港を開き、アメリカ船に燃料・食料・水をあたえることを認めた。 くわしく見る
日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)
1858年、大老の井伊直弼が朝廷の許可を得ずに結んだ条約。函館・神奈川(横浜)・長崎・新潟・兵庫(神戸)の5港を開いて貿易を始めた。 くわしく見る
尊王攘夷運動(そんのうじょういうんどう)
天皇を尊び(尊王)、外国人を追い払おう(攘夷)とする運動。開国後の経済の混乱や、幕府の外交への不満から高まった。 くわしく見る
安政の大獄と桜田門外の変(あんせいのたいごく)
井伊直弼は幕府に反対する大名や公家、武士を処罰した(安政の大獄)。1860年、井伊直弼は江戸城の桜田門外で暗殺された(桜田門外の変)。 くわしく見る
薩長同盟(さっちょうどうめい)
1866年、坂本龍馬らの仲立ちで、薩摩藩と長州藩が結んだ同盟。攘夷が難しいことを知った2つの藩は、幕府をたおす方向に向かった。 くわしく見る
大政奉還(たいせいほうかん)
1867年、15代将軍徳川慶喜が、政権を朝廷に返したできごと。約260年続いた江戸幕府が終わった。 くわしく見る
戊辰戦争(ぼしんせんそう)
1868年から1869年にかけて、新政府軍と旧幕府軍の間で起こった戦い。鳥羽・伏見の戦いから始まり、函館の五稜郭の戦いで終わった。 くわしく見る

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