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聖徳太子の政治と律令国家¶
聖徳太子の政治から大化の改新・律令国家の成立、奈良時代の政治とくらし・天平文化、平安時代の摂関政治と国風文化までを、東アジアとの関係とともに年表で確かめる。
このLessonでできるようになること¶
- 聖徳太子の政治の目的と内容を説明できる
- 大化の改新が目指したことを説明できる
- 大宝律令による国家のしくみを説明できる
前に習ったこと¶
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基本を理解する¶
聖徳太子の政治¶
6世紀中ごろに仏教の伝来がありました。593年、聖徳太子(厩戸皇子)は推古天皇の摂政となり、蘇我馬子と協力して、天皇を中心とする国づくりを進めました。
| 年 | できごと | ねらい |
|---|---|---|
| 603年 | 冠位十二階 | 才能や功績のある人を役人に取り立てる |
| 604年 | 十七条の憲法 | 役人の心構えを示す |
| 607年 | 遣隋使 | 隋の制度や文化を学ぶ |
大化の改新から律令国家へ¶
645年、中大兄皇子と中臣鎌足は蘇我氏をたおし、大化の改新を始めました。その後、白村江の戦いでの敗北、壬申の乱を経て、701年に大宝律令が完成し、天皇を中心とする律令国家ができました。
律令国家ができるまで
- 6世紀中ごろ(538年)仏教の伝来6世紀中ごろ、朝鮮半島の百済から仏教が正式に伝えられた。
- 593年聖徳太子(厩戸皇子)593年、推古天皇の摂政となり、蘇我馬子と協力して、天皇を中心とする政治のしくみを整えようとした。
- 603年冠位十二階603年、家柄にとらわれず、才能や功績のある人を役人に取り立てるために定めた制度。
- 604年十七条の憲法604年、役人の心構えを示した決まり。仏教や儒教の考え方を取り入れ、天皇の命令に従うことを説いた。
- 607年遣隋使607年、小野妹子らを隋(中国)に送った使節。隋の進んだ制度や文化を取り入れようとした。
- 645年大化の改新645年、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏をたおして始めた政治の改革。土地と人民を国家が直接支配する公地公民の方針を示した。
- 663年白村江の戦い663年、百済を助けるために送った日本の軍が、唐と新羅の連合軍に敗れた戦い。
- 672年壬申の乱672年、天智天皇(中大兄皇子)の死後、あとつぎをめぐって起こった争い。勝った大海人皇子が天武天皇となった。
- 701年大宝律令701年、唐の律令にならってつくられた法律。律は刑罰、令は政治のしくみなどを定めた。これにもとづく国家を律令国家という。
例題¶
十七条の憲法のねらい¶
十七条の憲法は、だれに向けて、何のために定められたか。
解き方
役人(豪族)に向けて、天皇の命令に従い、仏教を敬うなど、役人としての心構えを示すために定められた。
自分でやってみる¶
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間違えやすいポイント¶
「十七条の憲法は、国民の権利を定めた法律」¶
役人の心構えを示した決まり。今の日本国憲法とはちがう。
「大化の改新を進めたのは聖徳太子」¶
大化の改新(645年)を進めたのは中大兄皇子と中臣鎌足。聖徳太子はそれより前の人物。
まとめ¶
| 確かめること | できること |
|---|---|
| 1 | 聖徳太子の政治の目的と内容を説明できる |
| 2 | 大化の改新が目指したことを説明できる |
| 3 | 大宝律令による国家のしくみを説明できる |
理解度チェック¶
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このページの用語¶
- 仏教の伝来(ぶっきょうのでんらい)
- 6世紀中ごろ、朝鮮半島の百済から仏教が正式に伝えられた。 くわしく見る
- 聖徳太子(厩戸皇子)(しょうとくたいし)
- 593年、推古天皇の摂政となり、蘇我馬子と協力して、天皇を中心とする政治のしくみを整えようとした。 くわしく見る
- 冠位十二階(かんいじゅうにかい)
- 603年、家柄にとらわれず、才能や功績のある人を役人に取り立てるために定めた制度。 くわしく見る
- 十七条の憲法(じゅうしちじょうのけんぽう)
- 604年、役人の心構えを示した決まり。仏教や儒教の考え方を取り入れ、天皇の命令に従うことを説いた。 くわしく見る
- 遣隋使(けんずいし)
- 607年、小野妹子らを隋(中国)に送った使節。隋の進んだ制度や文化を取り入れようとした。 くわしく見る
- 法隆寺(ほうりゅうじ)
- 聖徳太子が建てたとされる奈良県の寺。現存する世界最古の木造建築とされる。飛鳥文化を代表する。 くわしく見る
- 飛鳥文化(あすかぶんか)
- 飛鳥時代に栄えた、日本で最初の仏教文化。法隆寺の釈迦三尊像など。 くわしく見る
- 大化の改新(たいかのかいしん)
- 645年、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏をたおして始めた政治の改革。土地と人民を国家が直接支配する公地公民の方針を示した。 くわしく見る
- 白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)
- 663年、百済を助けるために送った日本の軍が、唐と新羅の連合軍に敗れた戦い。 くわしく見る
- 壬申の乱(じんしんのらん)
- 672年、天智天皇(中大兄皇子)の死後、あとつぎをめぐって起こった争い。勝った大海人皇子が天武天皇となった。 くわしく見る
- 大宝律令(たいほうりつりょう)
- 701年、唐の律令にならってつくられた法律。律は刑罰、令は政治のしくみなどを定めた。これにもとづく国家を律令国家という。 くわしく見る
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