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奈良時代の政治とくらし¶
聖徳太子の政治から大化の改新・律令国家の成立、奈良時代の政治とくらし・天平文化、平安時代の摂関政治と国風文化までを、東アジアとの関係とともに年表で確かめる。
このLessonでできるようになること¶
- 平城京と、律令にもとづく人々の負担を説明できる
- 墾田永年私財法が出された理由と、その影響を説明できる
- 聖武天皇の政治と天平文化の特色を説明できる
前に習ったこと¶
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基本を理解する¶
平城京と人々の負担¶
710年、都が平城京に移されました。人々は班田収授法で口分田をあたえられ、租・調・庸や兵役(防人など)を負担しました。
人口が増えて口分田が足りなくなると、743年に墾田永年私財法が出され、貴族や寺社の私有地(荘園)が広がりました。
聖武天皇と天平文化¶
聖武天皇は、仏教の力で国を守ろうとして、国分寺や東大寺の大仏をつくらせました。唐から来た鑑真は、正しい仏教を伝えました。遣唐使がもたらした唐の文化の影響を受けて、国際的な天平文化が栄え、正倉院には西アジアなどの品も残っています。古事記・日本書紀・万葉集もまとめられました。
例題¶
墾田永年私財法の影響¶
墾田永年私財法が出されると、土地の支配はどのように変わったか。
解き方
新しく開いた土地の私有が永久に認められたので、貴族や寺社が開墾を進めて私有地(のちの荘園)を広げた。土地と人民を国家が支配する公地公民のしくみがくずれ始めた。
自分でやってみる¶
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間違えやすいポイント¶
「租は地方の特産物を納める税」¶
租は稲、調が地方の特産物、庸は労役の代わりの布。
「墾田永年私財法で、公地公民のしくみが強まった」¶
私有地が広がり、公地公民のしくみはくずれ始めた。
まとめ¶
| 確かめること | できること |
|---|---|
| 1 | 平城京と、律令にもとづく人々の負担を説明できる |
| 2 | 墾田永年私財法が出された理由と、その影響を説明できる |
| 3 | 聖武天皇の政治と天平文化の特色を説明できる |
理解度チェック¶
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このページの用語¶
- 平城京(へいじょうきょう)
- 710年に奈良に置かれた都。唐の都の長安にならい、道路で碁盤の目のように区画された。 くわしく見る
- 班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)
- 6歳以上の男女に口分田をあたえ、死ぬと国に返させる制度。 くわしく見る
- 租・調・庸(そ・ちょう・よう)
- 律令による人々の負担。租は稲(収穫の約3%)、調は地方の特産物、庸は労役の代わりの布。 くわしく見る
- 防人(さきもり)
- 九州北部の防衛のために送られた兵士。東国の人々が多く送られた。 くわしく見る
- 墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)
- 743年、新しく開いた土地(墾田)の永久の私有を認めた法律。貴族や寺社が私有地を広げ、のちの荘園のもとになった。 くわしく見る
- 荘園(しょうえん)
- 貴族や寺社が広げた私有地。墾田永年私財法をきっかけに広がった。 くわしく見る
- 聖武天皇(しょうむてんのう)
- 8世紀の天皇。仏教の力で国を守ろうとして、国ごとに国分寺・国分尼寺を、都に東大寺と大仏をつくらせた。 くわしく見る
- 東大寺の大仏(とうだいじのだいぶつ)
- 聖武天皇の命令でつくられた大仏。752年に開眼の儀式が行われた。僧の行基が人々に協力を呼びかけた。 くわしく見る
- 鑑真(がんじん)
- 何度も遭難しながら来日した唐の僧。正しい仏教の教えを伝え、唐招提寺を開いた。 くわしく見る
- 遣唐使(けんとうし)
- 唐(中国)の進んだ制度や文化を学ぶために送った使節。630年から送られ、894年に停止された。 くわしく見る
- 天平文化(てんぴょうぶんか)
- 聖武天皇のころに栄えた、唐の影響を強く受けた国際的な仏教文化。 くわしく見る
- 正倉院(しょうそういん)
- 東大寺にある倉庫。聖武天皇の遺品などが納められ、西アジアやインドから伝わった品もある。 くわしく見る
- 古事記(こじき)
- 712年にまとめられた、日本の神話や伝承の歴史書。 くわしく見る
- 日本書紀(にほんしょき)
- 720年にまとめられた、国のおこりからの歴史書。 くわしく見る
- 万葉集(まんようしゅう)
- 奈良時代にまとめられた和歌集。天皇・貴族から防人・農民まで、さまざまな人の歌が収められている。 くわしく見る
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