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豊臣秀吉の全国統一と桃山文化

ルネサンス・宗教改革・大航海時代とヨーロッパ人の来航、織田信長・豊臣秀吉による全国統一の過程と政策、桃山文化を、年表と資料で確かめる。

このLessonでできるようになること

  • 豊臣秀吉の全国統一と、太閤検地・刀狩の目的を説明できる
  • 兵農分離による社会の変化を説明できる
  • 桃山文化の特色を説明できる

前に習ったこと

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基本を理解する

秀吉の全国統一

豊臣秀吉は、1590年に全国を統一しました。

政策 内容
太閤検地 田畑の面積や収穫量を石高で表し、百姓を登録
刀狩 百姓から武器を取り上げる
バテレン追放令 宣教師を国外に追放

検地と刀狩で兵農分離が進みました。秀吉は朝鮮侵略も行いました。

桃山文化

桃山文化は豪華で雄大な文化です。千利休はわび茶を大成しました。

例題

兵農分離

太閤検地と刀狩によって、社会はどのように変わったか。

解き方

検地で百姓は土地を耕して年貢を納めることになり、刀狩で武器を取り上げられたので、武士と百姓の身分の区別がはっきりした(兵農分離)。

自分でやってみる

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間違えやすいポイント

「刀狩は武士の刀を取り上げた政策」

刀狩は、一揆を防ぐために百姓から武器を取り上げた政策。

「バテレン追放令で南蛮貿易も禁止された」

南蛮貿易は認めたので、キリスト教の取りしまりは不十分だった。

まとめ

確かめること できること
1 豊臣秀吉の全国統一と、太閤検地・刀狩の目的を説明できる
2 兵農分離による社会の変化を説明できる
3 桃山文化の特色を説明できる

理解度チェック

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このページの用語

豊臣秀吉(とよとみひでよし)
織田信長の家臣。信長の死後、明智光秀をたおし、大阪城を本拠地にして、1590年に全国を統一した。 くわしく見る
太閤検地(たいこうけんち)
豊臣秀吉が全国で行った検地。ものさしやますを統一し、田畑の面積や土地のよしあしを調べて、予想される収穫量を石高で表し、耕作する百姓を検地帳に登録した。 くわしく見る
刀狩(かたながり)
1588年、豊臣秀吉が、一揆を防ぐために百姓から刀や鉄砲などの武器を取り上げた政策。 くわしく見る
バテレン追放令(ばてれんついほうれい)
1587年、豊臣秀吉が出した、宣教師(バテレン)を国外に追放する命令。南蛮貿易は認めたので、取りしまりは不十分だった。 くわしく見る
兵農分離(へいのうぶんり)
検地と刀狩によって、武士と百姓の身分の区別がはっきりしたこと。 くわしく見る
朝鮮侵略(ちょうせんしんりゃく)
豊臣秀吉が明の征服を目指して、1592年(文禄の役)と1597年(慶長の役)の2度、朝鮮に大軍を送ったできごと。朝鮮の民衆の抵抗や、李舜臣の水軍の活躍で苦戦し、秀吉の死で兵を引いた。 くわしく見る
桃山文化(ももやまぶんか)
大名や大商人の富と力を反映した、豪華で雄大な文化。 くわしく見る
千利休(せんのりきゅう)
堺の商人で、豊臣秀吉に仕え、質素で静かな茶の湯(わび茶)を大成した。 くわしく見る

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